2006年に細野晴臣さんの夢日記に添えてアニメーションを三編つくりましたが、『細野晴臣夢十夜』として3月18日に発売されました。リリー・フランキーさんによって今回新しく書き下ろされた一編に添えても絵を描きました。
アニメーションはこちらからご覧になれます。
『横山ノック』▶︎
『短三度』▶︎
『環境薬』▶︎
当時は動画ソフトの使い方を教えてもらいながらの拙い作業でしたが、技術を越えたアイデアと熱量を込めた作となっています。ぜひご覧下さい。
「白い」って思えるくらいは白じゃない 本当の白は眩しくて見ていられないほどのはず 昼間の太陽のように
数日前にみた夢
絵を細密に描けば描くほど人が死ぬ
だから描くのはいけない 描けない という夢
目が覚めたその日は全く描けなかった
ある時期の自分は、その状況をリアルとして生きていた
自分が何かを描くとつくると 誰かを傷つけている殺しているのではと
つくるだけじゃない、前髪をピンで留めるだけでも、そうなっているのかもしれないと
救急車の音、会う人の話、ネットや他の何かで読む言葉、好きな音楽さえも怖くて聴けなかった
人との会話も、つくることも、日常のなんでもない些細な動作ひとつも恐怖とともにあった
何かを描かなければいけない時は意図せず誰かを殺しているような気持ちだった
それが妄想だったと言い切れるほど全てが消えたわけではない
今もまだ残っている ときどきよみがえる
潮の満ち引きのように
つくることでやっと誰かとつながることができる私は、
つくることで“誰かを傷つける殺す”に等しいことをしている
それは“生きているのに死んでいる”のと等しかった
死んでいるも同然な年月をもう過ごしたので
私は死にたいと思うことはない
だからか、それ以前からか
私は何か覚悟のようなものをしてつくっている気がする
それゆえにつくるものも言葉も、ある切実さを帯びている気がする
それでも身近な日常のうちにくだらない悩みを繰り返す
その期間は妄想を忘れていたんだなと振り返る
私にとって現実的な困難は どこか、
息抜きのようなところがある
これは確かだ現実だ と
怖がらなくていい と
コンポストで作った肥料を埋めに久しぶりに実家へ行った 思いがけず蕗の薹を5つ摘めた もう開き過ぎているけれど この間は煮浸しにして美味しかった またそうしようかな 出汁の香りが部屋をみたす