10月 2025 | akanet.net
2025.10.10
今日は寝坊していいのに目が覚めて スピッツの新曲がもう聴けることに気がついて聴いたら おふとんの中で泣いてしまった
草野さんの声とドラムだけになるところで「あ、大切なことを言うんだ」と感じ 気づけば泣いていた
“鉛色の空の隙間から 水色が小さく見えるから 下向かずにすぐに起き上がる 絵空事と笑われても やめないよ手を伸ばす精一杯 いつか僕ら赦されるなら”
写真は水色の空の中ベランダの窓からこちらに振り向いた鳩(一枚目→2枚目→3枚目)
普段は1日1食を夕方くらいに食べるのだけれど 昨日はお昼におにぎりを食べたら午後に眠くなってしまい朦朧としていたので、今日はバナナとドライフルーツとナッツにしたら、眠くならなかった それはそれでよかったが、感覚が研ぎ澄まされ過ぎてしまい、周りのたくさんの声や音の中から和音を拾い出して頭の中でメロディーを奏でていたので、自分本来の「喋りは音程に聴こえ文章は図に見える」モードに戻ってしまって、言葉を言葉として認識するほうへ切り替えるのに時間がかかった 見た目にはフリーズしているだけ 業務にならない・・ 近年は弁護士職や介護職の方たちとのやり取りで言葉を酷使していたのだけれど 食事、制作作業と違って、ほどほどの加減が難しい写真はこのあいだの皆既月食の日の皆既になる前の夕方の月 姿を現したばかりは写真よりオレンジでコクのある黄身のようだった 皆既中は作業に集中していたので見ず、明け方に落ち着いて西の空を見たらまだ欠けているシルバーの月が見えた 皆既月食の見えない力を作品へと注ぎ見えるものにしたので、見ることより見た気がする
「処理」と言うべき場面で何も言葉が出ず10秒ほどフリーズした 慣れない現場のせいかと思ったが、よくよく考えてみると、自分の中に「処理」という概念が無いのだと気づいた 何に対しても本気で向き合うから… 自分の中に無い概念の言葉は何故か使えない一般的に多くの人たちにとっての安全は、自分にとっては冒険で 一般的に多くの人たちの冒険は、自分にとって安全 と思い知る今日でもあった
写真は夏のある日の朝焼けと三日月と星
▶︎ https://youtu.be/VSNR33jHgDg?si=Ux4Iizp287pU7qkL
ああ、今この↑宇多田さんのお話聞けてよかった 最近(というか人生でずっとだけど)うううとなっていること、やっぱりそうだよねと思って落ち着いた
“できるかわかんないことをやろうとして、誰も信じてくれてない、自分だけが「こうかも?」とか「こうしたらこうできるかも」とか好奇心を持って、信念?を持って、自分にしかわかんないことを、ひたすら突き進、そのことにエネルギーをひたすら費やしてくって、なんかその真実の探究?、ってことをしてると思うんですよね、まあ自分にとっての真実?”
だから出さなきゃ誰もわからないので出すしかないわけですが
写真は夏のある日の夜明け 右上に星