初夏のある日、父と森の公園を散歩する
フレッシュな緑から力強い緑へと遷る生命の呼吸を胸いっぱい吸い込む
ざわざわとした気持ちが、すぅ っと静かになってゆく
木々の澄んだ空気が、光をやわらかにしてくれる
どこか神聖な光となった木漏れ日と一緒に歩く
 
涼やかな鳥の声
空へとのびる杉
風にゆれる竹林
「あの木には清々しい強さがあるね、
あの木にはしなやかな強さがあるね」「ああ」
「ほら、あの枝はすげえな(杉の枝のが片側に長くのびて)」
「きっと土の中の根っこは反対側にのびてバランスとってるよ」などと話す
目の前にあるものへの新鮮な驚きは、どんな状態の人とでも、わかち合える
 
帰り道すがらにある、いつも赤い葉っぱが緑になっていることに同時に気づく
「いつも思うんだけど、なんで最初と最後は赤いのかな
葉っぱもね、めぶき始めと紅葉は赤い
朝陽と夕陽も赤いでしょう
こんにちはとさようならは赤いんだよ」
「そうだな」
「私は『あかね』だから、他人事と思えなくて」
と何年もずっと思って、何度も書いていることを話した
私は簡単に調べないで、自分の中で想像し続けるのが好きだ
 
「それは水じゃないか?」と父は言った
ああ!と、いっぺんですべてが腑に落ちた
たしかに朝日も夕日も葉っぱも、空気中/木の中の、水の加減なのだと感覚的にわかった
「すごいね!ずっと言ってるけどはじめてだよそれ言った人 えーほんとだね!
お父さん、山登ってたからだね」と大絶賛して、はしゃいだ
山岳部だった父の、みずみずしい感性は色褪せない
父はそのとき特に何という返事はしなかった
 
1週間ほどしてまた森の公園を散歩する
ふと、新しい赤い葉っぱの木を通り過ぎるとき、
「最初と最後は赤いんだよ こんにちはとさようなら」
と父は、私に教えてくれるように、少し得意げにつぶやいた
 
え、それ私が言ったこと、と思ったが
あのときの大絶賛がうれしかったんだろうな
だから最近は3分で忘れる父も、心に残っていたんだろう
私が言ったということは忘れているけれど、何か良き記憶として父の中で生きていた
 
こんな会話は私と父の間にだけ在る
でも他の誰かは、また別の父を引き出し、
父もまた、誰かへ対してそうやって存在する
誰もが誰かとの間に、その人とだけの何かが在る
 
拙著絵本『あ』の「作者のことば」にこの感覚を書いている
誰も誰かを羨むことはない 蔑むことはない
そんな世界に生きていることを
思い出してもらえたら
 
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コップがあった
マネしてみた

テープがあった
おしてみた

ひょうたんあった
だきついちゃったよ つい

バカだなあ
でもたのしそう と
わたしもそのへん
あるいてみたよ



スリッパがあった
はいてみた

せんぷうきがあった
いっしょにくびふった

おかあさんがあった
ねえ と言ったよ

おフロがあった
あったかい

そのひと と コップ
そのひと とひょうたん
わたし と スリッパ
わたし と おかあさん
わたし と おフロ

そのあいだにしかうまれない
おなじものはひとつもない



きみがあった
©Akane Otsuki 2004
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私の絵本は『あ』『あ あ』『けいとだま』『すきとおりすけのすけ』と、
ほとんどがそのような「出会い」のことを描いています
お手にとっていただけたらさいわいです
 
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もどしてももどしても出てくる ゴミ袋の意思
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