a day
実家から運び出した荷物を片付けていたら、
小学生のとき「初めてつくった針金の人」が出てきた
この頃の、まだ行き当たりばったりの造り方が初々しい
ここから、大学生の頃のインスタレーション(1993年写真4、5枚目)、
その後、絵本『あ』(2004年)になる頃までに紆余曲折を経て、
針金の人の「造り方/構造」は完成されていった
およそ20年かけて針金の人は完成した
美大受験の予備校では、
私はクロッキーがいちばん好きだった
人が「在る」空気感を把握して最小限の線や面で描くことが得意で
それが、線だけの針金の人が「居る」空気感をつくることへと活かされている
「その人には世界がどう見えているのか」
というのは、その人が創ったものに
如実にあらわれてしまう、と思う
私は「在る」を感じているのだろう
それは
「微細に描きこむこと」と
「最小限の要素で描くこと」のように、
一見した手数だけで、単純に分けられるものでもない
『透明な目の野生動物』の鉛筆画でも
私は1本1本の狼の毛が「在る」ように描いている
それは、多くの写実的な絵とも、写真とも別の、迫力を生む
『透明な目の野生動物』の妙な圧倒的な感じは、そこにあるのだと思う
そしてそれは、誰でも描けるような線の人を描くときにも同じなのだった
小学生のとき「初めてつくった針金の人」が出てきた
この頃の、まだ行き当たりばったりの造り方が初々しい
ここから、大学生の頃のインスタレーション(1993年写真4、5枚目)、
その後、絵本『あ』(2004年)になる頃までに紆余曲折を経て、
針金の人の「造り方/構造」は完成されていった
およそ20年かけて針金の人は完成した
美大受験の予備校では、
私はクロッキーがいちばん好きだった
人が「在る」空気感を把握して最小限の線や面で描くことが得意で
それが、線だけの針金の人が「居る」空気感をつくることへと活かされている
「その人には世界がどう見えているのか」
というのは、その人が創ったものに
如実にあらわれてしまう、と思う
私は「在る」を感じているのだろう
それは
「微細に描きこむこと」と
「最小限の要素で描くこと」のように、
一見した手数だけで、単純に分けられるものでもない
『透明な目の野生動物』の鉛筆画でも
私は1本1本の狼の毛が「在る」ように描いている
それは、多くの写実的な絵とも、写真とも別の、迫力を生む
『透明な目の野生動物』の妙な圧倒的な感じは、そこにあるのだと思う
そしてそれは、誰でも描けるような線の人を描くときにも同じなのだった
2026年08月06日
わたしは今、すごいことに気づきました
拙著絵本『あ』の
「あ」という1文字の言葉は
「世界はすばらしい」って言っているということに
「この世界はすばらしい、それに感謝する」ということと同義なのです
「あ」の1文字の中に「出会いのおどろきやよろこび」があって でも
「もっとスケールの大きなものも、その中に在る」ということは
今までも、感覚的に、漠然とは、わかっていたけれど
今さら、くっきりと気がつきました
それこそが、
『あ』以降に追随して出てきた、
形だけをなぞっただけのものとは、
一線を画すところなのだな…… と
気づいたきっかけは、
言語表現について友人に相談していたときのこと
「すばらしい」とか「すてき」とか
英語の翻訳アプリでは「wonderful」と出てくる
でも私の中の、すばらしいやすてきは、beautifulに近い感じで
「すてき、すばらしい、美しい」を包括したようなイメージがする
それをどう言ったらいいのかな、と
そこで気づいたのは
どの言語においても私は
誰かに「ありがとう」と言うときの
その「ありがとう」は
自分の中では「世界は美しい」と同義というか
「『ありがとう』と言いながら『世界は美しい』と同時に言っている」感じで
それは言っている相手へと同時に、
「この世界は美しい、それに感謝」と、
全方向へ向けて放っている感じなのだということ
自分の中のその、言葉におさまりきらない感覚を確かめていくうちに、
絵本『あ』の、一文字の中にも、同じような
「この世界は美しい、それに感謝する」
が在る、と 気づいたのです
『あ』の制作当時、
中身はできあがって、
さあタイトルは?、となり
じっと10分くらい思いめぐらせたのち
1点を射るようにして
「『あ』です」と自分の口から出てきた瞬間の
まぶしくて、でも静かな確信のようなものをたたえた、
しん、とした空気が 鮮明によみがえります
2026年08月06日追記:
そんな思考をつらつらと綴っていた自分へ、友人が
(すてき、すばらしい、美しい、の包括について)
「lovelyがいいと思う!」と提案してくれて
つい小沢健二さんが浮かんでしまった
思えば自分のこの感覚は
大学4年生(1996年)の頃に
遅ればせながら小沢健二さんのすばらしさに気づき、
それまで世の中に対して「ケっ」と思っていた自分だったのに
新しい自分が生まれたように、世界がキラキラして見えてきたのです
つまり小沢さんは「今の大槻あかねが生まれ出た生みの親」のようなものなのでした
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絵本『あ』akanet storeにて販売中
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2026.08.06.
わたしは今 すごいことに気づきました
拙著絵本『あ』の
「あ」という1文字の言葉は
「世界はすばらしい」ってことなのだということに
「この世界はすばらしい、それに感謝する」ということと同義なのです
1文字の中に「出会いの驚きやよろこび」があって でも
もっとスケールの大きなものもあったということに
今さら気がつきました
感覚的にはわかっていたけれど
これが他の「⚪︎⚪︎⚪︎⚪︎あ」とか
『あ』以降頻発した1文字タイトルのものとか
形だけをなぞったものとは、一線を画すところなのだと
29.07.2026.
夕方、父に電話する
どうですか、と聞く
ああ、本読んでた、と言う
毎日の電話と、変わらないやりとり
「昨日、大丈夫だった?覚えてる?」
「ああ、なんも覚えてねえ わからね」
「そうだよね ではでは ごゆっくり」
と切って 数分後に父から電話がきた
「空を見てごらん 月がきれいだよ」と
「え、どっちのほう?」 「南のほう」
「あっ ほんとだ!満月だ 写真撮る」
父とは多様な場面を過ごしてきたが、行き詰まると
いつもどこかしら眺めのよいところを見つけて
果てしない空や景色を見て、穏やかに話した
認知症の父に現状を話すことはもうずいぶん前にやめた
それは、やるせない自分の味方でいてほしいという、己の利己的な衝動でしかなく、
もちろん父は私へ理解を示してくれるが、同時に親として心深く傷ついていると、わかるからだ
そのような負担は、もうかけたくない
父を利己的なことに利用したりすることなく、
それぞれにしかできないことで補い合いながら、
父の心身が穏やかでいられることを願っています
それが、母が最も望んだことです
#fratellosolesorellaluna