今はもうそこからまた別のところへ来たような気がしているけれど
葬儀にまつわることで(葬儀屋さんや専門のメイクの方とか)
普段見ることのない職業の方のお仕事ぶりを見るのは、
刺激的で尊敬の念が湧き、ある意味楽しかった。
映像などのチーム仕事のときのような。
なぜだか 私はまだ一度も母を思って泣いていません。
母の死の夜に、認知症も合間って凄まじく乱れた父を見て、号泣しただけ。
きらきらと美しい光景でした。
いつも父が寝るまで話を聞いていると
何度も同じことを話すそのちょっとしたタイミングで、
気の利いた質問をすると、今まで聞いたことがないようなことを話し出します。
それは本当に、きらきらとまぶしく、物事の本質を語っていて、
これをわかるのは身近では私くらいだろうけれど、
もっと他のわかる人にも聴かせたい、
と思ったりします。
母がいた頃もそうでしたが、
認知症、というくくりに疑問を感じます。
聴く側が工夫すれば、晴れ渡ったような鮮明な表情を引き出せるのです。
そして彼らには邪念がないので、私は疲れません。
とても大切な時間を過ごしていると感じています。
父への食事を作っておいた書き置きのところにみかんに顔を描いて置いておいたら
次の次の日には仏壇へ置かれていました。
葬儀にまつわることで(葬儀屋さんや専門のメイクの方とか)
普段見ることのない職業の方のお仕事ぶりを見るのは、
刺激的で尊敬の念が湧き、ある意味楽しかった。
映像などのチーム仕事のときのような。
なぜだか 私はまだ一度も母を思って泣いていません。
母の死の夜に、認知症も合間って凄まじく乱れた父を見て、号泣しただけ。
きらきらと美しい光景でした。
いつも父が寝るまで話を聞いていると
何度も同じことを話すそのちょっとしたタイミングで、
気の利いた質問をすると、今まで聞いたことがないようなことを話し出します。
それは本当に、きらきらとまぶしく、物事の本質を語っていて、
これをわかるのは身近では私くらいだろうけれど、
もっと他のわかる人にも聴かせたい、
と思ったりします。
母がいた頃もそうでしたが、
認知症、というくくりに疑問を感じます。
聴く側が工夫すれば、晴れ渡ったような鮮明な表情を引き出せるのです。
そして彼らには邪念がないので、私は疲れません。
とても大切な時間を過ごしていると感じています。
父への食事を作っておいた書き置きのところにみかんに顔を描いて置いておいたら
次の次の日には仏壇へ置かれていました。