尊敬するある人がよく、
「嫉妬すること」を露わに話されることを、
その感じなんかいいな、といつも思ってみています。
その嫉妬は、
賛辞が大きく占めていると感じるし、
その人のいだく劣等感は妬みでは終わらないその先の
「他にまだどこにもないもの」へたどりつくための通り道のように感じるから。
そしてその人はどこかでそれを“確信”しているような気がするから。
嫉妬と言っても様々な次元があるなと思います。
“確信”と書きましたが、これは最近考えていたことで、
私は自分に自信があるかというとそうでもない気がするんです。
でも、“確信”はしているなと思ったんです。
アイデアは自分じゃないどこかから降りてくるようにやってきて、
だからこそ人ごとのように手放しで「これすごい」と思える。
そのすごさを確信しているから、
なんとかそれを届けられるように
あれこれ模索して作業を重ねて努める。
その努めが確信をさらに裏付ける。
どこかからやってきたそのアイデアにおつかえしているような感じです。
自分に自信はないけれど、つくりだすものの持つ力への確信はあるんです。
「自信がない」と言った友人との会話で、
あなたも確信しているのでは、と思い
改めて書きました。