『CANON EOS MOVIE』、
Canonサイトでの掲載が終了し、
リンクが切れ観られなくなっておりましたが
大槻あかねYouTubeに再掲載し、
再び観ていただけるようになりました。
“a day” “macaron” “window”の3作です。
10年前のお仕事ですが、
今も宝物のような経験です。

『CANON EOS MOVIE』ページ
▶︎http://akanet.net/works/a-day/

“a day”
▶︎https://youtu.be/W2-cUQoPCiY

“macaron”
▶︎https://youtu.be/ENxg1oKXRiY

“window”
▶︎https://youtu.be/fof8mrvUiVA

SNSのアー写変えました
akanetはそのままですが…

今までのはそもそも
ストーカーへの威嚇写真だったので
もういいかなという感じで
まっこう正面から挑みますよ写で行きます
先日の母の葬儀でいらしてくださった方にお渡しし、ご挨拶で読んだ文章です。これを書いた2日後に、ワシントンのスミソニアン協会国立アジア美術館に母の作品が収蔵されることになりました。


このたびは、みなさまの貴重なお時間とお心を、
母、大槻昌子と過ごす機会に頂戴いたしまして、ほんとうにありがとうございます。

ーーー
「皆がものをつくる家族にしたい」という父の思いから、
大槻という家は、全員 ものを創る者になったけれど
その内側を成す資質は、それぞれ大きく異なる。

私は「同じ魂の人に会いたい」という思いが創作の衝動。
だから何かを観るときも純粋に、作品の発するものや内包する力を見る。

母はその私の感覚を信頼していて、彼女の制作中に頻繁に感想を聞いてきた。
ときどき母の代わりに、新しい構造を考えたり、作品名を付けたりもした。(裏面の作品はそのひとつです。)

若い頃の母は「人間国宝になる!」と息巻いていた。
賞を取るとか地位とか、私には関心のない事だったけれど、
何十年もずっと母の作品と日本伝統工芸展を観てきた私からも
「それに値する力を母の作品のいくつかは持っている」と感じられる。

しかしそうはならない。
「世の中は作品の内容の力だけでは動いていない」ことは、
ずっとひとりで、自分の看板を背負って創作活動しきた私も、
それを突き付けられる経験を何度もしてきたから強く実感できる。

母は権力におもねない人だ。
父も権力におもねない人だ。
それゆえに地位を得ない彼らを、私は尊敬する。
母はそんな世の中の構造なんかお構いなしに、誰もへ親しみ、笑いかけ、話した。かっこいい!

ほんとうを見抜ける人はピンポイントで居る。
人生の中で多くはないが その瞬間は、ある。

母の人生では
父と母を導いてくださった、山名文夫先生。
資生堂の広告に、深く長くたずさわれた方です。
きっと誰もが山名先生の絵を見たことがあるでしょう。
先生は母の本質を見抜いて、助手として身近に置いてくださった。

それから美智子さま。
父の父である私の祖父は、長く美智子さまのお着物のデザインを担当していた。
母は三越での個展の折に、展覧会図録にそのエピソードを書いたお手紙を添えてお送りした。
その手紙は、少女のように可愛くときめいた文章だった。みなさんご存知の、あの母の感じで。
展覧会当日、宮内庁の侍従長さまからお電話があり、美智子さまからのお祝いの言葉を頂いた。

母は最近、足が浮腫んで歩きづらく、手も作業しづらそうだった。
それでマッサージとリハビリへ行くことを勧めたら、躊躇していた。だから、
「また自由に動けるようになるためだよ。あんなにミイラみたいだった父も今はシャキっとしてるよ。
メトロポリタン美術館へ行けるかもだよ。」と言ったら、ちょっとやる気になっていた。
(母の作品はニューヨークのメトロポリナン美術館に収蔵されています。)
母の亡くなった日は、本当は初めてリハビリへ行く予定だったので、その合間に
新作のデザインをできるよう、下描きを作って持たせる用意をしていた。
「失いゆく自分」に気落ちする人が、ふと「その先」を想像できるとき、
薄れかけた生命力は、またきらきらとかがやく、そういう瞬間を垣間見た。

母の死からの周囲の反応や動きに、私は妙な気分でいる。
「おいおい、勝手に終わらせてくれるなよ」という気分なのだ。
「あの作も、あの作も、とてもいいのに日の目を見ていない、まだ可能性がある」
「母の作品はダイナミックなところがあるから、もっと外国で展開できないだろうか」と
イメージしてワクワクするほどなのに。できる?できるよ!としか思えないのに。

母も私たちも得意ではない「作品を広め伝える作業」を
どうかみなさま、それぞれの形での、お力を貸してください。
これから続いてゆく「母と母の作品のゆくえ」を見届けてください。
誰もが等しく「二度ともどらない美しい日にいる」と、今この瞬間もそうだと。感じつつ。

母は最近「お父さんの面倒は(最後まで)私がみるの!」と何度も言ってました。
父と親交のある方は、少しでもお気に留めていただけたら、母はほっとします。
どうかよろしくお願いいたします。

2022年12月14日
大槻昌子、娘
大槻あかね
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母、大槻昌子は
12月8日(木) 9:09
心不全のため死去致しました。
葬儀は
通夜  12月16日(金) 18時~
告別式 12月17日(土) 12時~13時半
式場 船山博善社3階式場
横浜市中区山下町161-1
tel 045-681-2104
https://sougi.bestnet.ne.jp/funayama-yokohama/map.html
JR京浜東北根岸線「石川町駅」徒歩3分
みなとみらい線「元町・中華街駅」徒歩5分。

彼女が日々創作作業をし、
多くの方たちとのご縁を深めました
元町に在る『大槻工房』の近くの式場です。
通夜の時間と並行して、また告別式後と、
『大槻工房』にて彼女の作品を展示致します。
http://www.otsukikobo.com/studio/index.html
どうぞ 母と、母の作品のゆくえを お見届けください。