今はもうそこからまた別のところへ来たような気がしているけれど
葬儀にまつわることで(葬儀屋さんや専門のメイクの方とか)
普段見ることのない職業の方のお仕事ぶりを見るのは、
刺激的で尊敬の念が湧き、ある意味楽しかった。
映像などのチーム仕事のときのような。

なぜだか 私はまだ一度も母を思って泣いていません。
母の死の夜に、認知症も合間って凄まじく乱れた父を見て、号泣しただけ。
きらきらと美しい光景でした。

いつも父が寝るまで話を聞いていると
何度も同じことを話すそのちょっとしたタイミングで、
気の利いた質問をすると、今まで聞いたことがないようなことを話し出します。
それは本当に、きらきらとまぶしく、物事の本質を語っていて、
これをわかるのは身近では私くらいだろうけれど、
もっと他のわかる人にも聴かせたい、
と思ったりします。

母がいた頃もそうでしたが、
認知症、というくくりに疑問を感じます。
聴く側が工夫すれば、晴れ渡ったような鮮明な表情を引き出せるのです。
そして彼らには邪念がないので、私は疲れません。
とても大切な時間を過ごしていると感じています。

父への食事を作っておいた書き置きのところにみかんに顔を描いて置いておいたら
次の次の日には仏壇へ置かれていました。
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先日の母の葬儀でいらしてくださった方にお渡しし、ご挨拶で読んだ文章です。これを書いた2日後に、ワシントンのスミソニアン協会国立アジア美術館に母の作品が収蔵されることになりました。


このたびは、みなさまの貴重なお時間とお心を、
母、大槻昌子と過ごす機会に頂戴いたしまして、ほんとうにありがとうございます。

ーーー
「皆がものをつくる家族にしたい」という父の思いから、
大槻という家は、全員 ものを創る者になったけれど
その内側を成す資質は、それぞれ大きく異なる。

私は「同じ魂の人に会いたい」という思いが創作の衝動。
だから何かを観るときも純粋に、作品の発するものや内包する力を見る。

母はその私の感覚を信頼していて、彼女の制作中に頻繁に感想を聞いてきた。
ときどき母の代わりに、新しい構造を考えたり、作品名を付けたりもした。(裏面の作品はそのひとつです。)

若い頃の母は「人間国宝になる!」と息巻いていた。
賞を取るとか地位とか、私には関心のない事だったけれど、
何十年もずっと母の作品と日本伝統工芸展を観てきた私からも
「それに値する力を母の作品のいくつかは持っている」と感じられる。

しかしそうはならない。
「世の中は作品の内容の力だけでは動いていない」ことは、
ずっとひとりで、自分の看板を背負って創作活動しきた私も、
それを突き付けられる経験を何度もしてきたから強く実感できる。

母は権力におもねない人だ。
父も権力におもねない人だ。
それゆえに地位を得ない彼らを、私は尊敬する。
母はそんな世の中の構造なんかお構いなしに、誰もへ親しみ、笑いかけ、話した。かっこいい!

ほんとうを見抜ける人はピンポイントで居る。
人生の中で多くはないが その瞬間は、ある。

母の人生では
父と母を導いてくださった、山名文夫先生。
資生堂の広告に、深く長くたずさわれた方です。
きっと誰もが山名先生の絵を見たことがあるでしょう。
先生は母の本質を見抜いて、助手として身近に置いてくださった。

それから美智子さま。
父の父である私の祖父は、長く美智子さまのお着物のデザインを担当していた。
母は三越での個展の折に、展覧会図録にそのエピソードを書いたお手紙を添えてお送りした。
その手紙は、少女のように可愛くときめいた文章だった。みなさんご存知の、あの母の感じで。
展覧会当日、宮内庁の侍従長さまからお電話があり、美智子さまからのお祝いの言葉を頂いた。

母は最近、足が浮腫んで歩きづらく、手も作業しづらそうだった。
それでマッサージとリハビリへ行くことを勧めたら、躊躇していた。だから、
「また自由に動けるようになるためだよ。あんなにミイラみたいだった父も今はシャキっとしてるよ。
メトロポリタン美術館へ行けるかもだよ。」と言ったら、ちょっとやる気になっていた。
(母の作品はニューヨークのメトロポリナン美術館に収蔵されています。)
母の亡くなった日は、本当は初めてリハビリへ行く予定だったので、その合間に
新作のデザインをできるよう、下描きを作って持たせる用意をしていた。
「失いゆく自分」に気落ちする人が、ふと「その先」を想像できるとき、
薄れかけた生命力は、またきらきらとかがやく、そういう瞬間を垣間見た。

母の死からの周囲の反応や動きに、私は妙な気分でいる。
「おいおい、勝手に終わらせてくれるなよ」という気分なのだ。
「あの作も、あの作も、とてもいいのに日の目を見ていない、まだ可能性がある」
「母の作品はダイナミックなところがあるから、もっと外国で展開できないだろうか」と
イメージしてワクワクするほどなのに。できる?できるよ!としか思えないのに。

母も私たちも得意ではない「作品を広め伝える作業」を
どうかみなさま、それぞれの形での、お力を貸してください。
これから続いてゆく「母と母の作品のゆくえ」を見届けてください。
誰もが等しく「二度ともどらない美しい日にいる」と、今この瞬間もそうだと。感じつつ。

母は最近「お父さんの面倒は(最後まで)私がみるの!」と何度も言ってました。
父と親交のある方は、少しでもお気に留めていただけたら、母はほっとします。
どうかよろしくお願いいたします。

2022年12月14日
大槻昌子、娘
大槻あかね
ーーー
母、大槻昌子は
12月8日(木) 9:09
心不全のため死去致しました。
葬儀は
通夜  12月16日(金) 18時~
告別式 12月17日(土) 12時~13時半
式場 船山博善社3階式場
横浜市中区山下町161-1
tel 045-681-2104
https://sougi.bestnet.ne.jp/funayama-yokohama/map.html
JR京浜東北根岸線「石川町駅」徒歩3分
みなとみらい線「元町・中華街駅」徒歩5分。

彼女が日々創作作業をし、
多くの方たちとのご縁を深めました
元町に在る『大槻工房』の近くの式場です。
通夜の時間と並行して、また告別式後と、
『大槻工房』にて彼女の作品を展示致します。
http://www.otsukikobo.com/studio/index.html
どうぞ 母と、母の作品のゆくえを お見届けください。

 


ここ数日、母がよく「たまねぎあるから、たまねぎスープを作ろうと思って。でも炒めて、どうしたらいいんだっけね」と何回か言っていた。母といえばたまねぎスープ、というそれ。

今日のひととおりののち、やっと食事、何か作ろうとしていたら、剥いてあるたまねぎ2個と、たまねぎスープ用の鍋が出されていることに気づいた 母は作ろうとしていたんだな たまねぎスープ作って明日は4人で食べる

父が「呑むしかないなぁ」とつぶやく 普段はアルコール依存/食道癌の父の飲酒に激昂する兄が、「ダメだけれどいいよ、買ってくるよ」と言い、母のかたわらで呑む 父は認知症も相まって すさまじい むきだしの人間の本質 ああ
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母、大槻昌子
今朝9時に亡くなりました。
母と親交のあった方々、ありがとうございました。
葬儀に関しましてはまた改めてお伝えさせていただきます。
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普段から自分の身体を実験しているような感覚で過ごしているのだけれど、親への食事や身体や気分の様子を見に行っているのも実験のような感覚でやってみている そうすると、もしかしたらストレスに感じるようなことも「なるほど」で済む 「ではこうしてみたらどうかな」とかになる 過去の自分の経験と照らし合わせて鑑みたりする そうすると「あーあれものすごくしんどかったけれどあれやっておいてよかった、今があのときを活かしている」とかなる

今は相談している友達(夫さんがケアマネ職のかた)からお返事をもらうと、なんだかきらきらした気持ちになって 「ああ、この彼女の素晴らしさに気づいて享受するために今があるのかな」と感謝の気持ちになる なにげないようでいて 静かなきらきら

はっきりとかたちあるものではないかもしれないけれど、静かに、誰にも気づかれないくらい静かに 周りの人をしあわせにしている人は居る 本人も気付いていないかもしれないくらい控えめなきらきら 深く、尊敬する
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実家に電話して「お寿司買って行く?」と聞いたら
「ウェルカム!」と言うので買って行ったら、
忘れてカップラーメンを食べていた
なるほど

しかし今日の母は、昨日や一昨日より活気が戻ってきていたのでよかった
目がはっきりしてて カップラーメンやお寿司を食べたいと思うくらいは元気

持って帰ってきて自分で食べていたが、
最近、食事を作って実家へ届けていると、
自分は食べる気が失せてさらに少食になっているので、
半分でもうおなかいっぱいだ…
ネタだけ食べて、ご飯は冷凍、後日お粥かな?

冷凍するため3つずつラップしたシャリがかわいくて思わず撮った
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母は眠れずにずっと横になっていると言う
その沈黙の時間に彼女の中ではぐるぐると思いがめぐるのだろう
認知症、他者からはちぐはぐでも 本人には脈々としたものがあるはずの思い

せめてその空間に心地よい音楽が流れていれば
自身を追い詰める思考から解き放てられる空が見えるだろうか

そんな気持ちで思ったとき、思い浮かんだのは光子さんの声だった
せっせとビューティフルハミングバードのプレイリストを作った

一通りプレイリストを作って聴いてみる
『カレン』から『光る翼』の運びが、
希望に満ちあふれ、涙が出る

そして数曲後の『ジプシー』、
今までと別の響き方

“今日のおどろきを
もし忘れてしまっても
いつか戻ってこれるだろうか
海を旅する魚のように

彼女が微笑を
もし忘れてしまっても
いつか戻ってこれるだろうか
海を旅する魚のように”

なんと今の状況に響くのだろう
忘れてしまった 戻ってこれるだろうか
母の生き生きとした表情や活気が 旅する魚のように
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部屋の中に不思議にフラットな光が入っている
と思ったら向こうのほうの窓から反射した夕陽だった

もう、夕陽はここからは見えないところへ沈む
これから一瞬も部屋に陽が入らない季節
でも 窓が伝言を届けてくれる

誰もが何かを映すんだ
幸いにも哀しくも
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少し前に思い切って切り戻したミントが
みずみずしい葉をぎっしりと広げてる

そういうこと、ある ね
植物が教えてくれる、生命の声を
聴き取れるように 心を澄ましていたい
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