どこにフォーカスするか
というのは人それぞれのことだけれど
自分がこころ震えるものというのはいつも
“他者には思いはかれないくるしさもあって
でもだからこそまぶしさを強く感じる
明るいほうへと向かってゆく”
というものかな と思いました
草野さんはいつもそういう曲を描かれるな、と
『優しいあの子』だけ先に聴いて思っていました
それで『なつぞら』を観たら
やはりそういう面もあって ああ
そこにフォーカスされたんだなと思いました
“なかなかは思いはかれない誰かの心の中を思う”という
いつもスピッツの曲にある優しさがドラマと共鳴しているんだなと感じました
「正解なんてあるの?」と友達に言われた
わからないけれど「これは正解じゃない」ということだけはわかる
あの、本体をつくりあげたときのような
言葉を書き上げたときのような
データを仕上げたときのような
ぱぁっとわくわくする感じがない
今回上がってきた印刷のことです
明らかにだめなものが1つあるけど他は
だめ・・ではない けど あの気持ちにならない
すこしもやもやとして、何か言い訳を心の中でさがしてしまう感じ
友達にもやもやと話してわかった
これは自分にしかわからないことだな
つまりこれじゃだめなんだ だとしたらもう
逆算してやることは決まっているよね、と腹くくる
何が大切なのかは自分にしかわからないから、他はなんでも譲れる
しかしほんっと金星に土星がシビアにかかってくるなぁ…
まあやる、やるさ 大切な表現を切り捨てるとかよりは
どうってことはない 選んだんだから 自分で
ああもしかして “切り取られることのない 丸い大空” ってこういうののことかな
そっかぁ…
一昨日は無事
絵本とお手紙をお渡しし
朗読劇を観た
朗読劇の中でも
登場人物はお手紙のやりとりをしていた
あ、と思いながら観た
私もさっき書きました
そして「透明人間」という言葉が使われるたびに
花粉症で腫れている私の目はさらに潤んだ
(透明人間が主人公の絵本 あります)
語られないこと、
何気ない話題でまぎれたこと、
その向こうの 灯し続けている蝋燭のような恐怖に
ぞっとする(怖くもあり、わくわくもして)感覚、
それを「あ、そうか」と思い出すようなひとときだった
お手紙、読んでいただけたようでありがとうございますと恐縮
尊敬する人に初めて自分の存在を伝える時というのはいつも緊張しますね
今回は、というか今回も、「ああ、今だな」と思ってそのように至りました
そういうことについて以前にインタビューで話したのでどこかに埋もれた記事を見つけたらアップします
「いまだ」ということに関してです
さっき近所の川沿いの桜はよく咲いていたけれど
照明もなくただ怖いくらいに透き通った花びらの散る日常だった青山墓地を
散り際にいちどだけ通れたら なじみの墓で夕陽を送れたら それでいいな と思っている