私は「自分の看板を背負ってきた」と折に触れ言うけれど、
なかなか真意が伝わることは少ない
プロとして重ねた経歴とか
そういう次元ではない
(ちなみに私は“プロ”というのがよくわからない
考えても考えてもわからないでいて今に至る
あるとき友の言葉でなぜなのか腑に落ちた
これについてはまたいつか書こうと思う)
いま配信中のライブ映像の中で藤くんはバンドの背負ってきた“看板”について話している
彼らの看板の重さはいかほどか私には想像もつかないくらいなのだろうけど、
私の背負っている自分の“看板”もそういうことのように感じた
彼らの新曲『木漏れ日と一緒に』の中で
“この胸に消えない言葉 他の何にも変わらずに
死ぬまで刺さる鋼鉄の杭 仕事を止めない心臓”
と歌っているのは、彼らの“看板”のことだろうか
「いちばんつらいとき」にその重さを意識した“看板”のことだろうか
これまでしばしば見かけてきた、
他者の築き上げた看板を調子よくもらおうとする人、
既に世の中で知られた立派な看板を平気でパクる人、
きっとだからその看板を途中で投げ出せるような人、
借景だけでできたような看板を得意げに掲げている人には一生わからないことなのだろう
藤くんが言っていた、
私もそうだと思った、
背負っている“看板”は
平たく言えば「覚悟」ということだろうか
あの看板に、この看板に、恥ずかしくないように生きたい
『木漏れ日と一緒に』を聴いてからずっと
心の中に神聖なみずうみが静かに湛えている
そこで 描いている
描けてきている
まもなくだと感じる
演奏の全てが映されているようだ この絵に
エモーショナルにもなってきている
藤くんの言う「一番しんどいとき」っていうのは
『木漏れ日と一緒に』で描かれていることなのかな
「一番しんどいときに君たちの存在がささえてくれました」と
だからこの曲が生まれたのかな
最後の2行からその激しさを思う
ふとベランダへ出たら階下から
疎にシャボン玉が舞い上がってきた
ぽろんぽろんと爪弾くアルペジオのように
その透き通った真珠は
いつか人知れずこぼれ落ちた涙が
のちに蒸発して天へ昇るさま そのものだ
ずっと割れないまま空高く浮かびゆくのを見届ける
あの透き通った目がどこまでもゆくための 浮力となる
『透明な目の野生動物』を描く作業は
それに仕えるということ