横浜市の公共の機関の対応の酷さに、今までもことごとく憤ってきましたが、そんな折に寄ったコンビニの店員さんの接客が丁寧で優しくて、天使のようにキラキラして見えました 当たり前のように素通りしていたことへの輝きと感謝を感じらる機会をくれて、酷い対応の横浜市南区職員よありがとう
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今日は拙絵本『あ』を担当していただいた編集者、また尊敬する友人のようないつまでもかわいい真知子さんの誕生日 ちょうどよく季節遅れの初恋が咲いてお祝いしていました

『あ』の制作工程では真知子さんとテレパシー的なことがいくつもあり 特に最後の最後にタイトルを決める時、私がしばらくじっと研ぎ澄まし数十分後に 「『あ』です」と言ったら真知子さんは「そうです」とおっしゃいました 静かな興奮と確信に満ちたその瞬間でした

その後何冊もの絵本制作を経験し 真知子さんがその時いかに「よいものをつくるためには編集者として会社に無理を通してでも軽やかに融通を効かす」ということを私に悟られぬようにしてくださっていたことがわかりました 他にないような すてきなかたです
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今日、うたたねをしていたら 母が「ねぎらいねぎらい!」と言いながら何か渡され 包みを開くと、大量の一筆箋と、写真をプリントしたもののようだった 母は夢の中でも謎の励まし方である 「うーーー」と声を出して泣きかけたところで、父が脇を通ったので 夢の中で「夢か…」と思い目が覚めた 写真は見られなかった 何の写真だったんだろう

写真は友達が母の葬儀へ送ってくれたお花 毎日せっせと水切りし 1ヶ月半経っても元気
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今日は母の納骨 お寺から渡された紙に「入魂」と書いてあって(位牌へ)、猪木かな…と思った

お坊さんの読み上げるお経が「洗剤ない、洗剤ない〜 あ〜、やだ〜」と空耳アワー的に聴こえて笑ってしまった 住職はハードロックバンドをやっているそう(たしかアイアンメイデンのコピーバンドだったような)
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レシートの整理をしながら
母の死後、初めて泣く、

体調を崩すよりもっと前から、
母の死ははじまっていたのだと
私の買い物歴が語っている だから

買い物して、実家へ向かって必死で走っている
(急ぐことなんてないのになぜか必死で)
自分の姿をありありと思い出したから

ものすごくひとりで でもそういう、
誰にも頼れないようなひとりには慣れているから
いつもどおりの孤独の中をひたすら走って重い袋を抱えて

しかし 泣く、かと思ったところで涙はすっと引いた

私は怒っているのだ
誰かに、とかではない
世の中を成す、不条理に

だからひとつぶも泣かないでいる
やることがある
泣いている暇はない
私は私がたのしみでしかたがない
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 昨日は整体へ
「どうしたらこんなに痩せちゃうの?」と先生
「1日が終わるまでに、いつ食べたか何食べたか何も食べていないか思い出せないくらい次々と何かあるからですかね」と言ったけれど
量的に食べない時は普段からあるので、
それではないな

自分史上1番痩せていたのは(今は2番目)
ストレスでよく気を失って道端で倒れたりしていた頃
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領収書整理
つい2ヶ月前の
自分だけのための食材を買っている
レシートの向こうの自分が他人みたいだ
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いつも、
ちょっとしたコンビニへのお使いや
外でお食事した時のお代も
父は自分の所持金から出そうとします。
私が「兄から預かっているからいいよ」と言っても
自分が出そうとします。
ここに、父のプライドを感じます。
そして同時に兄がそれを踏みにじっていることも感じます。
私は「ありがとう、ご馳走になります」と言って出してもらいます。
とても切ないです。
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父のアトリエにあった、
数学者、岡潔の本のことから始まって、
「本当にすばらしい人がいらっしゃる、そのことがうれしい、
存在することを確認できたことが、人生において本当にさいわいなことだ。」
ということを父は話した。

私も、何かあったときに
「あの人だったらどうするだろう」と想像する、
心の中の旗のような、指針のような人が何人かいる。
その人の存在に恥ずかしくないような自分で在ろうという気持ちが常にある。
「その方がいらっしゃる、それだけで背筋が伸びる」と父も言っていた。

この話はまた改めて書きたい。
心通じる友と話すような、
とても豊かな時間だった。

父とこんなに深く核心をついた話ができる、
これは母のくれた貴重な時間のように思う。
母は父がいい気になるとたしなめるので、
こんなに話し込んだりしなかったから。
(ヤキモチ焼いてたのかなぁ、母は)
(私に、じゃなくて、私と仲良くする父に)
(そういうフシがあった、わりとよく……)
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父を私のアトリエへ呼んで食事をする。
別にたいしたものを出すわけじゃないのだが
父が最近あまり食べなくなってきているので。
せめてこうやって「どうぞ」「ウェルカム!」な感じを出して、
心地よく過ごして食事をする気分になったらなと思った。
こういうちょっとしたことが大事のように思う。
あたたかい、明るい部屋で。

それから父の気になりそうな、
岩波写真文庫や桂離宮やリー・ウーファンなどを揃えておいた。
私は少し作業があったので、それを観てくつろいでもらいながら過ごした。
なんとなくただ居る、それだけで ひとりがらんとした実家で居るよりいい。

父はケアマネージャーが、自分を
一般的な「老人」というくくりで判断していることに
とても傷ついていた。(表立っては言わないけれど、空気感でわかる)

からだはひとりひとりそれぞれ違う。
そうやって観てくれる整体に私は通っているので
父にも合うかもしれないと思って相談したらオッケーとのこと。

父は3月に検診があり、
食道癌が再発していると
(その可能性はかなり高い)
自分で食事もできず寝たきりになる可能性がある
今のように自分で自由に歩けて、食べたいもの食べて、と
そう長くはないこのときを、穏やかな心持ちで過ごしてほしい。
私は母の死の予感からずっと、全力でやっているのは、
あとわずかというカンがそうさせているのかも。
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