またたおれた なんかいめか

病院の帰り 人身事故で電車止まってた 今って宇宙レベルでハードなのかな そしたらみんながみんなハードってことだから せめてやさしくし合いたいよねと思った 駅のアナウンスが聞こえなくて近くに居た女の子に聞いたら教えてくれて いま体調悪くて病院の帰りで長く立って待てないなどうしよう…と言ったら 素朴なやさしい本当に心配そうな顔で バスのことなど教えてくれた なんだかその顔に少しほっとした 世の中まんざらでもない あの女の子のこの先がきらきらした人生でありますように
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いろいろあるけれど、昨日のお医者さんはとてもよい方だった いくつか病院行ってやっと信頼できる人に会えた 状況はつらくても人々はすばらしくありがたい あきらめないでよかった

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川上未映子さんのツイートが沁みる

「苦しみを打ち明けても、深刻な体の辛さを伝えても、友達に親に誰かに、必ず先に泣かれてしまう人がいる。だからその人は泣けないまま、元気な笑顔で周りを慰め続けるのだ。恐怖と痛みを抱えてひとりで泣くしかないけど、誰かひとり、先に泣かずに話を聞いてくれる人がその人のそばにいたらいいなと思う

いつも前向きとか笑顔とか、あの人はどんな時も元気をくれる人とか、そういう評価をあんまり信じすぎやんように。ポジティブへの群がりはその笑顔の持ち主を追い詰めることになるから。生きるってしんどい。体があるから。もっとゆるくてだるくてええねんで。元気じゃなくてもいいねん、気分でええねん」
(川上未映子さんTwitterより)
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work in progress
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ひとつ前の投稿『ai』に書いたことを、
もう少しくだけた文体で改めて書いています
全く言葉を喋ることができない書くことができなかった私の
なんとか自分なりの方法で言葉を身につけてゆく過程がうかがえます

数年前に書いた、ある気づき
気づきというか、「ずっと自分の中にあった感覚について言語化できた」とき
「自分が消えたようになる、透明になるってどういうこと」ということ
今日、ふと読み返していて、今の自分を解放へと導いてくれる
それはすでに自分の中にあったのだと思い出せました
ありがとう、過去の自分
ひとつ前の投稿『ai』も併せてお読みください

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からだの中を通りぬけてゆく(2020.03.26)

わたしはとても暑さが苦手でした
体力的にもバテやすく、そうですが
日に当たるとアレルギーで腫れてしまうこともあり
積極的な気持ちで暑い気候を過ごすことはありませんでした

しかし数年前に、真夏の京都奈良を巡ったとき、
暑さへの向き合い方が少し変わってきました

お寺や神社への、日陰のない道を延々と歩いたり、
フライパンの上にいるような暑さの中でバスを30分待ったり、
どうにも逃げようがなかったのです

その時わたしは、ある心境に至りました
暑さを肌の表面で受け止めると「暑い」と思う、
でも、暑さが自分のからだを通りぬけてゆくようなイメージをしたら
暑さがからだにとどまることはなく、「暑い」という感覚も感情も湧かなくなりました

その頃わたしは「自分がなくなるような感覚」について考え続けていました
創作をしている時にふと、アイデアが降りてくるようなとき、
宇宙に存在する、自分以外のすべてのものに
感謝するような敬うような
とても眩しい気持ちになるのです
そのとき自分は透明になって消えているようになります
そして考え抜いたすえに、その眩しさは「愛」なのかもしれないと至りました
自分以外のすべてのものへの、感謝するような敬うような気持ち

暑さについて考えている時にそのことを思い出しました
自分が消えて暑さが通りぬけてゆくような感覚、
これは「暑さを愛する」ということなのかな
と気づきました

おそれたり、憎んだり、怒ったり、
そうするとからだの中で苦痛を呼び覚ますのではないだろうか
今こそその怖いものを愛し、「からだの中を通りぬけてゆく」ようにすることが
必要なのかもしれないと、ウィルスのことも、他の直面しているストレスフルな案件についても、思うのです

フライパンのような暑さの中でバスを待っている時に
風が吹き、田んぼの稲が波を打つ景色を見て、
わたしは心の中で涼が生まれました
実際は熱風だったのかもしれないけれど
それはとても涼やかな気持ちを湧き起こしてくれました

何が必要でも、なく ただ、身一つで今、できる

きっと誰の中にでもあるはずのその感覚を思い出し、呼び覚ますことは、できるのだと思うのです

数年前に書いた、ある気づき
気づきというか、「ずっと自分の中にあった感覚について言語化できた」とき
「自分が消えたようになる、透明になるってどういうこと」ということ
この次の投稿の『からだの中を通り抜けてゆく』でも書いています
ふと読み返していて、今の自分を解放へと導いてくれる
それはすでに自分の中にあったのだと思い出せました
ありがとう、過去の自分
次の投稿『からだの中を通り抜けてゆく』も続けてお読みください

ai(2009.07.23)

このあいだ
ある音楽のすばらしさを
友人がほんとうにわかってくれたとき

またひとりそれを知ったことが
ほんとうにうれしくて
涙がでた

自分のことをほめられるよりうれしかった

 

何かをつくるとき
自分が消えたようになって
あるまぶしさを感じるときがある

そんな気持ちになった

 

 

わたしはここのところずっと
その、自分が消えたようになるときのことを考えていた

何か大きなちからに動かされているような感覚
その「大きな何か」を誰かにつたえるための、
自分はただの通過物になったような状態

この宇宙のすべてのもの、存在に
感謝のような、敬うような

そのとき感じる
つよいつよい
まぶしさ

 

 

ある音楽のすばらしさがつたわってうれしかったときの
その感覚について なんとなく考えつづけて
一週間ほど経ったとき
フと
最近読みかえしていた本のことを思いだした

主人公がこの世から消えるまぎわに
それまでの数日、しあわせな時を共に過ごした従兄弟の
この先の人生のしあわせを願う

そして主人公は
自分はぜんぜんぬきに相手のことを考えられる
愛するってそういうことなのかも

思う

 

 

そうか、
あの気持ちは
「愛」だったのか

この宇宙に存在するすべてのものへの愛

自分が消えてなくなるような感じ

あれは「愛」なのか

そうか

 

 

 

わたしは「愛」がどういうことなのか実感したことなかったから
いままで「愛」という言葉を使ったことがなかった

ずっとずっと漠然と感じつづけていた
まぶしさが それだった

 

 

漠然と いだいていたものが
言葉につながる

ヘレンケラーの感動ってこんなだったのかな
ひとつの 伝達の方法を知ること

 

 

 

自分がなくなる     透明になる

 

透明
ということは
「愛」ということ なら

どうしてか自分が ひきつけられ、ちからをもらう人々がそなえた、
ひと目ひと耳でわかってしまうあの透明感は
その人の愛情深さ なの

 

その
透きとおった
向こうにみえる景色からは
なにか 恵みのようなものがとどく

つよいところも なさけないところも
うつくしいところも きたないところも
その愛情深さが 人びとの中の愛をよびさます

 

ほんとうはだれだってそんなでいられる、
「そこ」で話そう、と よびかける

そういうたたかいが
あるように
思える

 

木や花や山や川や海や空や光、きれいな夕焼けなんかに
きっと ずっと人間はそういう恵みを受けてきた

いまはそれを忘れてしまった人びとも
人間の中に それをさがしてる

透明とは反対のこころたちに、
山や川や地や空のように
どうか壊さないでと
願うときがある

そんなとき
かれらは
きっと
もう
どんどん
透きとおって
ゆくしかないんだろう
愛しぬく という たたかいかたで

愛情をたたえ存在し流れつづけている
その音楽に わたしは
透明になれる

 

 

 

こんなこと、
ちゃんと生きている人には
あたりまえにわかっていることなのかもしれなくてはずかしい

でも いつも すでにある公式のようなものを使わずに
自分でひとつひとつ解いてきたわたしは
いまごろ気づいた

言葉じゃないところではわかっていたけど
それが言葉とつながる この不思議な感じ

うれしいような
くやしいような

 

 

 

しかしどこかで
そんなかんたんに言葉でかたづけられるようなもんじゃない
気もして

もっと

もっと

つかめないような

 

 

ほんとは言葉にできないことを
言葉にしてしまっていることに
ここまで書いてきて ちょっと
おちこんできた・・・

 

 

これはきっと絵本につながってくんだ・・・ たぶん・・・

2009.7.23

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夢の中で「そっちじゃない、こっちだ」というように藤くんに腕を引かれた(撫でるように)ので、私も藤くんの腕を掴んだらものすごく細かったその感触がリアルだった(2023.05.11)

よく、何か大切なこと決めるのに迷っているとき、象徴的な人が夢に現れる 自分の中の本能のようなものが「こっちだ」と言っているんだろう それがその夢の形になって表れるんだろう この日もそうだった
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夢に小学校の友達りえちゃんが出てきた りえちゃんは母をとても慕っていた 夢の中でりえちゃんはやさしかった ありがとうりえちゃん
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過去の日記の中の母を見つけて懐かしかった
この頃はまだ、誰に咎められることもなく
楽しく飲んだり食べたりできていたのかな
キュートな人だよなと思う
▶︎http://akanet.net/2021/02/9825/
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ジャスト満月タイム辺りに自分の内で起こったこと ここがドラマティックなんだな、とわかったこと(描いてる絵の) ずっと何に疲れているのかをはっきり自覚したこと

何に疲れているのか 「批判すること、否定すること、そういう人々」に疲れているのと気づいた 自分は褒めたいし肯定したいし大絶賛して愛したい なんかそれすらも止められている(状況的に)のがくるしいのだなと

藤くんを見ていて何が心の底から安心するか心震えるかって ありがとうってこと肯定することを全力で伝えているからで 自分もそれをやってやるぜと思った 俺は本来そういうヤツだろ

写真は夜明け、建物の向こうにある満月の余韻で光る曇
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