うらやむこと ここしばらくずっと 「なぜ人は人をうらやましく思うのか」を考えていました それはこの1ヶ月くらい「自分は誰かを羨ましいかなぁ今」と考えつづけた末に 「誰も羨ましくないなぁ」と思ったからでもあります たぶん「羨ましい」って “やりたいことがやれない”のではなくて “やればできることをやらないでいる自分”が在るからなのでは と思った わたしは“受注などの他者の要望に応えるのではなく自分の表現を自分でする、 そのために全ての余暇をなくす”という選択をして、誰も羨ましくなくなりました (作業は体調もありなかなか進みませんが…)(そして経済的には厳しい選択です) 体調はかんばしくないけれど気持ちはとても前向きなのです 静かに寝ている日々を過ごしていると、逆に “羨ましい気持ちで逆立っている人”の奥の方が見えてしまい、なるほどと思います もうそういうところからは離陸するときなのだろうな、と思います そんな今の自分のつくる、自分のためのごはんはおいしかったです だから自分はだいじょうぶだと思う おやすみなさい
爪ひとかけの夏 やっと足指の爪を切る ほとんど外出しない最近、 たまの出かけしなに気づくが 次の外出の時までは忘れている ずいぶんとのびた爪の左薬指に 透明なマニュキュアがひとかけ残っていた 確かプロフィール写真を撮るときに髪を青く染め爪を黒くし 撮ったすぐ後に手も足も透明なマニュキュアに塗り替えたはず 8月か9月だったかな 絵本の作業の詰めと体調不良でほとんど外出しないままいつのまにかの今 小さなひとかけの艶が、「たしかにあったよ」と 素足の季節をそよがせた
ただ いま どれくらいぶりかわからないほどひさしぶりにに夕陽をみている 夕陽を見てもその美しさに誰も「うらやましい」とは思わないのに 何故人は人に「うらやましい」という感情をいだくのか わたしはもうただほんとうの“あかね色”でいられたらいい
果実/2013年12月11日 夕暮れ すこし高いところから街を見渡している 道なりにつづく信号機 青、黄、赤、果実のように しかし早い その移りのあまりの早さに、 なぜだかもの悲しくなっていたら 果実は落ちることなく、また 青く色づいた
研ぐ 毎日、起きたらまず その季節の果物や野菜のジュースをつくる そしてそれらを切る前には必ず包丁を研ぐ 鋭く、よく切れる包丁は つつがなく切れ 怪我をしない 逆に切れの悪い包丁は 妙なちからが入ったり 切り口をすべったりして 怪我をしやすい 急いでいたりして研がなかった日は手がすぐわかる 果物や野菜たちもなんだか痛そうに感じる そして自分の内も何かが鈍い ときどきよく研がれた刃物のような人と接すると はっとする 会話のやりとりのつつがなさに
『すきとおりすけのすけ』本屋さんに並んだようです 拙著新作絵本『すきとおりすけのすけ』は今日から本屋さんに並んでいるそうです 2010年発案2011年初ラフと長く取り組んで出来ました この第1場面目を描くために思いついたように記憶しています ぜひお手にとってみてください そしてその場面は決してSNSにアップしないでください よろしくお願いします